サンコー防災株式会社

インフォメーションinformation

消火器の訪問点検にご注意!

病院や工場、店舗、学校などを狙い、不適切な点検や脅迫的な言動で高額請求をされるといった被害が多発しています。

こんな手口を使います

・契約業者になりすまし「消火器の点検時期になりました。今からお伺いします。」と電話

・契約書であることを隠し「預かり証」と勘違いさせてサインを求める

・「薬剤を詰め替えました。」として高額請求する

・「契約書にはもうサインしてあります。」「支払いを済ませないと消火器を返すことはできません。」「裁判をします。」などの発言がある

トラブル防止のポイント

・訪問者に身分証明書等の提示を求め、点検契約業者であるか確認する

・すぐに契約書等に署名・押印をしない

・防火管理者または責任者に連絡し、直近の点検状況を確認する

不審に思った場合は、すぐに最寄りの消防署・分署・出張所に相談してください。

当社の取り組み〜点検済証(ラベル)の貼付〜

一般財団法人静岡県消防設備協会交付の点検済証(ラベル)は、一定の条件を満たしている『表示登録会員』に交付されるものであり、有資格者により適正に消防用設備点検を行った証です。この点検済証(ラベル)が貼られていることで「消防用設備が正常であること」が分かり、防火対象物の利用者に安心感を与えることができます。サンコー防災は、一般財団法人静岡県消防設備協会の表示登録会員です。

消火器用

サンプルメージ

消火器以外の消防用設備等用

サンプルメージ

立入検査(査察)について

立入検査(査察)は、本来防火対象物の関係者が自主的に履行すべき消防法令等の遵守状況について、法の執行として行政監督の立場からチェックし、当該法令等を履行させるために行われます。

消防法第4条

消防長または消防署長は、火災予防のために必要があるときは、関係者に対して資料の提出を命じ、若しくは報告を求め、又は当該消防職員(消防本部を置かない市町村においては、当該市町村の消防事務に従事する職員又は常勤の消防団員。第5条の3第2項を除き、以下同じ。)にあらゆる仕事場、工場若しくは公衆の出入りする場所その他の関係のある場所に立ち入って、消防対象物の位置、構造、設備及び管理の状況を検査させ、若しくは関係のある者に質問させることができる。ただし、個人の住居は、関係者の承諾を得た場合又は火災発生のおそれが著しく大であるため、特に緊急の必要がある場合でなければ、立ち入らせてはならない。

消防法第16の5

市町村長等は、危険物の貯蔵又は取扱に伴う火災の防止のために必要があると認めるときは、指定数量以上の危険物を貯蔵し、若しくは取り扱っていると認められるすべての場所(以下この項において「貯蔵所等」という。)の所有者、管理者若しくは占有者に対して資料の提出を命じ、若しくは報告を求め、又は当該消防事務に従事する職員に、貯蔵所等に立ち入り、これらの場所の位置、構造若しくは設備及び危険物の貯蔵若しくは取扱いについて検査させ、関係のある者に質問させ、若しくは試験のため必要な最小限度の数量に限り危険物若しくは危険物であることの疑いのある物を収去させることができる。

立入検査の手順

立入検査結果通知書の様式や呼び名は、各消防によって変わる可能性があります。また、防火管理者の選任や、防災計画の作成などが含まれることもあります。

立入検査のポイント

・通路上に避難障害となるものが置かれていないか

・熱感知器や煙感知器が部屋に設置されているか

・避難誘導灯が目視できるか

・消火器は適切に配置されているか

・屋内消火栓の扉の開閉障害はないか

当社の取り組み

不備・欠陥事項の改修および設置から点検結果報告書の作成および消防提出のサポート、防火管理者の選任や防災計画のサポートをいたします。インターネットから点検結果報告書や履歴を確認できる「防火管理カルテ」の提供、非火災などの24時間対応、避難訓練の実施。また各種保険に加入しており、保守点検作業や避難訓練実施時の偶発的な事故に対応できる体制を整えております。

ホテル・旅館火災の特徴と事例

ホテルや旅館は不特定多数の人の利用が主となります。在館者の多くが、その建物の間取り、構造などに詳しくなく、出入りや移動が不自由となります。また、観光地のホテルや旅館においては、ビジネスホテルと異なり飲酒をともなう宴会等が開催される場合が多くあります。旅の開放感もあり酒量は多くなり、疲労も重なり夜は熟睡となるでしょう。深夜、在館者は「建物の勝手を知る健常な睡眠者」とは明らかに違う「避難が容易でない酩酊した睡眠者」となっていることが考えられます。「火の不始末」「寝たばこ」の可能性が高くなったり、火災時の非常ベルの音に反応することも難しくなったりすることもあるでしょう。

1986年2月11日AM1:35頃出火。
静岡県東伊豆町のこの旅館は新館と、道を隔てた旧館の2棟があり、地下道で接続されていた。 旧館は3階建て延べ720m2の木造建築物であった。旧館方面に炎を見たフロント係り2名が夜警員に消防への通報を依頼、消火器を持って地下連絡道の防火戸まで行ったが、 煙で消火できず、専務の自宅に電話した後、出火棟でない新館宿泊客に火災の発生を知らせた。 夜警員は119番通報をするべく4回ほどダイヤルしたが、話中音がして通じなかった。 結局、旅館からは通報されず、付近の焼肉店から通報された。 結局、旧館宿泊客25名中23名が、また、従業員1名が命を落としている。
この火災では、
1.自動火災報知設備の主ベル、地区ベルが停止されていた
2.所轄消防への消防設備等の点検報告は実施されていた
3.ゼロ発信による電話の扱いミスで119番通報が遅れた
4.夜警員が2名で、宿泊客数に比して少なかった
5.新館には「適マーク」があったが旧館には無かった
6.地下道経由で旧館に入ると、避難路、方角など、建物状況を把握しにくかった などの問題がクローズアップされた。
1988年2月15日、専務及び内務部長(防火管理者)が「自動火災報知設備がありながら、 ベルのスイッチを切り、スイッチの状態を確認すべき二人が業務上の注意義務を怠った」として業務上過失致死の疑いで逮捕されている。

1983年2月21日AM3:30頃出火。
山形市蔵王温泉観光ホテル本館2階客室から出火。木造4階建ての本館と別館を3,582m2を焼失し、宿泊客6名、従業員5名の計11名が焼死した。原因はコンセントの過熱とされている。このホテルには「適マーク」が交付されていたが、事故後、建物構造や消防設備、避難誘導の問題が表面化した。 建物内は度重なる増改築で、渡り廊下、地下道などが迷路のようになってしまっていた。良識ある経営がなされていない場合、「適マーク」がついていても、必ずしも万全とは言えない。

1982年2月8日AM3:30頃出火。
千代田区永田町のホテルニュージャパンの9階客室から出火、 9階及び10階の4186m2が9時間にわたって燃え続け、死者32名、重軽傷30数名を出し鎮火した。 当時、台湾、韓国、ハワイの観光客など315名、出火階である9階には79名、10階には29名が宿泊していた。出火原因は、イギリス人宿泊客の寝タバコが原因とされている。 最初に火災が発見されたのは、たまたま9階に行った従業員が、938号室から漏れ出る煙に気がついたため。 この従業員は急いで1階の従業員を呼びに行ったが、再び現場に戻った際にはもう手の施しようが無かったという。この建物には法規上必要なスプリンクラーは3階までしか設置されておりませんでした。 (東京理科大学の検証で、スプリンクラーが設置されていれば初期段階で消火されていたことが報告されている)そしてなんと、 8階以上には防火区画が無く、ベニヤ板や穴の開いたブロックで仕切られていたとのこと。 また、消防訓練はほとんど行われておらず、従業員数も人件費削減のため400名以上から一挙に200名以下に減らされていた。ホテル経営者の防災意識が欠如している場合、このように建築構造の欠陥や消防設備の不備が重なる可能性が非常に高く、 一流・高級・大型ホテルと言えども、決して安心して泊まれないのである。宿泊施設の経営者は、 「安心・安全を売っている」ということも決して忘れてはいけない。 この火災の後、消防行政は一段と強化された。また、この火災については5年後の1987年5月、東京地裁にて 「スプリンクラーや防火区画の設置、防火管理者に対する指示・監督を怠った」として、 横井社長に執行猶予無しの禁固3年、元支配人に執行猶予5年、禁固1年6ヶ月の司法判決が下った。

1980年11月20日PM3:30分頃出火
新館1階の風呂場付近工事のトーチランプから出火。簡易耐火造(鉄骨)4F建て本館及び木造2F建て新刊、 3,582m2を全焼。死者45人(内、宿泊客40人)、重軽傷者22名。国内旅館ホテル火災史上最大の惨事。 出火当時、ホテルには112名の宿泊客がいた。大半は紅葉見物に来た老人クラブの方とされている。
このホテルは、火災前年末に消防署の査察で、消火栓、誘導灯など八項目にわたる不備の指導がなされていたが、 改善されていなかった。また、火災初期段階で自動火災報知設備が鳴動しているにも関わらず、 ホテル側が「試験だから心配しないように・・・」と館内放送を流していたとのこと。 たまたまこの日に本当に点検をやっていたらしいが、この案内が惨事を大きくしたとも言われている。 その他にこの火災が大惨事になった理由として、度重なる増改築で建物内が迷路化していた バルコニーの無い構造で、煙により階段をふさがれ、避難上大きな問題があった 従業員の出勤前であったため、適切な避難誘導がなされなかった宿泊客に高齢者が多かった・消火用水利が悪かった恐ろしい話である。誰だって「このベルの音は試験だ・・・」と聞かされれば、安心してしまう。 逆に、煙や臭いを(試験で出しているに違いない)と勘違いし、本当に手遅れになるまで我慢してしまうかもしれない。 「安全を売る」ホテルが人をだますことになるとは・・・。
なお、この火災については、6年を経た1987年2月12日、東京高裁にて「防火戸や防火区画の設置、義務を怠り、 避難誘導訓練を実施しなかった」として川治プリンスホテル元社長に禁固2年6ヶ月、 執行猶予3年、元専務には執行猶予なしの禁固2年6ヶ月、 出火の直接の原因となった建設作業員に禁固1年、執行猶予3年の判決が下った。

1978年6月15日AM2:00頃出火。
愛知県半田市のこのホテルは、RC造3階建てで、もともとラブホテルだったものを改装したものであった。密室性が強く、窓にはブラインドをかねたルーバーがはめ込まれ、避難に支障をきたした。また、建物は増改築を何度か経ており、迷路のような構造であり、しかも階段は1ヶ所しか無かった。1階からの出火であったが、自動火災報知設備が鳴動した際に管理人が火災に気づいたが、 既に濃煙が立ちこめており、そのまま屋外に逃げ、屋外から避難を呼びかけた。 消防への第一報は、消火作業をし始めてある程度時間が経過してからの近隣の者による通報で、火災発生から既に20分以上を経過していた。建物は3階建てで、 焼失面積は663m2と、それほど大規模でないにもかかわらず、1ヶ所しか無い階段を火煙が上がったため、上階の宿泊客は避難に困難をきたし、 出張サラリーマンが殆どという宿泊客33名中、7名が亡くなっている。

1969年2月5日21:00過ぎ出火。
福島県郡山市磐梯熱海町にて、強風注意報が発令されている中発生。 磐光パラダイス(RC造3F 7,197m2)、 磐光ホテル(RC造4F 7,085m2)、レストハウス(RC造2F 1,228m2)を焼失し、 死者30名、負傷者41名という大惨事となった。出火の原因は、金粉ショーの演出道具として控え室に用意されていたベンジンを浸したタイ松が、 傍にあったストーブの熱で引火したというもの。出火直後は客に知らせずにダンサーたちだけで消火を試みたが失敗した。 観客は、火炎をみて初めて火災に気づき、避難した。 折からの強風と、屋根の一部が壊れてそこから風が入り込んだということ、建物が冬場の暖房で乾燥状態にあったことから、火は想像を絶するスピードで瞬く間に燃え広がった。このホテルは、郡山市の中心部から西方16キロにある最大の総合レジャー施設で、 団体観光ツアーの人気ホテルだった。しかし、増築に次ぐ増築で内部が迷路のようになっており、また、火災報知機は度々の誤報で、ベル停止状態であった。 また、非常口の殆どが針金等で開かなくなるようにしていた。これらの防災上の不備と、異常な速さの延焼速度により、出火時間はまだ夜の9時であったにもかかわらず、このように多数の犠牲者を出すこととなった。なお、この火災の刑事責任については、1978年1月24日に仙台高裁にて、「防火管理者としての一般的職責を怠った」として、磐光ホテル総務課長に禁固2年、執行猶予2年の司法判決が下った。

1968年11月2日AM2時40分頃出火。
収容人員800名以上の有馬温泉では歴史のある旅館で出火当時は「仁王殿」「中の丸」「本丸」「西の丸」に隣接した「北の丸」を建築中であった。地下ボイラー室から出火し、6棟6,630m2を焼失し、 新婚旅行客や団体客等、246人の宿泊客中、死者30人、負傷者44人を出す大惨事となった。このホテルの自動火災報知設備は建物の一部にしか設置されておらず、 宿泊客は煙が自室に侵入してきて初めて火災とわかる有様だった。また、その他消防設備である消火栓、避難設備、消火器等はすべてに渡り不備があった。消防署は事前に指導していたが、旅館側は誓約書を出しただけで、実際は改善されていなかった。 設備の不備に加え、迷路のように増改築された建物構造と、建材から発生した有毒ガスにより、避難が一層困難となり、多くの犠牲者を出すこととなった。

1966年3月11日AM3:20頃出火。
木造3階たての渓流閣、RC4階たての秀嶺閣、地下1階地上3階たての新館および木造離室2棟、その他大浴場からなっていた。出火原因は、警備員が仮眠中に石油ストーブを倒してしまったことによるもの。 炎の音で目を覚ました警備員は、消火器で消火を試みたが、石油の炎には対処できず、部屋を退出。 フロントで火災報知器を作動させ、建物外の従業員宿舎に行き従業員を起こし、消防機関への通報を依頼した。 その後、現場に戻ったが火勢は勢いを増し、入場は不可能となっていた。宿泊客は飲酒している者も多く、ほとんどが熟睡中であった。 助かった者の話では、火災報知器のベルは、遠くで電話が鳴っている程度にしか聞こえなかったという。警備員が従業員宿舎に行く際、玄関を開放したため、風が吹き込み、火を煽ってしまったことで、 火は瞬く間に燃え広がった。宿泊客が煙や臭い、炎で火災と気づいた際には既に停電となっており、 現場はパニック状態となった。非常口は内側から施錠されており、消防隊による非常口からの侵入は出来なかった。 また、中から出ようとした者も、開錠のしかたがわからずに非常口内側であえなく亡くなった者もいる。この火災による焼失面積は7棟、3,183m2で、 農業団体の慰安旅行客などの宿泊客158人中計30名が亡くなった大惨事となったが、 3階で亡くなった15名は燃えていない部屋で亡くなっており、 この火災で、煙による一酸化炭素の弊害が注目されるようになった。なお、このホテルは、国際観光旅館に格付けされた一流ホテルであった。 ホテルの規模や知名度と、「安全」とは全く関係無く、ただ、ホテル側の防災に対する意識の高さだけが関係するのである。

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